東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1117号 判決
ところで、代理人と称する者が本人の実印並びに取引の目的とする不動産の権利証等の書類を所持しているときでも、なおその者に本人を代理して法律行為をする権限があることについて疑念を生じさせるに足りる事情がある場合には、相手方としては、代理人と称する者の代理権限の有無について、更に確認の方法をとるべきものであるから、その調査を怠り、その者に代理権があると信じたとしても、そのように信じたことに過失がないとはいえない。前記認定した事実によれば、本人である被控訴人と自称代理人である怜子とは夫婦の関係にあり、妻が何らの権限がないのに夫の実印や夫所有不動産の権利証等を所持することは、同一家族内において起りうることであるから、妻が夫の実印や夫所有不動産の権利証等を持っているからといって、必ずしも代理権の存在を信ぜしめる事情とするに足りないのみならず(なお、前記認定した事実によれば、本件各契約締結当時、怜子は夫である被控訴人の実印を同人に無断で持ち出して所持していたものである。)、また、怜子が、本件建物を担保として当時控訴会社の代表者金井威憲に対し借入金の申込をした際、控訴会社代表者は、この借入金の用途について、怜子個人が料亭「おかむら」の権利の譲渡を受けるための資金に充てられることを告げられているのであるからこのような事情のもとにおいては、怜子が本件建物の権利証並びに被控訴人の実印を所持していたという事情があったとしても、通常人であれば、怜子の前記各契約締結の権限について、一応の疑念を持たざるをえないような事情にあったものというべきである。したがって、このような場合には、直接本人である被控訴人に問い合わせるなどして右権限の有無について調査すべきであり、その調査に格別の困難があったとすべき事情も認められないのにこれを怠り、単に被控訴人の主宰していた診療所に電話をかけたが、被控訴人が不在であったため、右の点の確認を得ることができなかったというにとどまり、それ以上に確認の方法をとらず、怜子に本件各契約を締結する権限があると信じても、このように信じたことに過失があり、正当の理由があるとはいえない。
(杉山 倉田 井田)